研修旅行(3)

 

今回は研修旅行の一日目に宿泊した箱根プリンスホテルについて、書いてみようと思います。設計を行った村野藤吾は戦前から戦後を通じて日本建築界の巨匠として、93歳で亡くなる直前まで、関西を中心に日本国中で多くの建物を設計しました。特に拠点をおいた大阪では旧そごう大阪店や新歌舞伎座など、皆さんにとっても馴染みのある建物を手がけた建築家です。(残念ながら、どちらも解体されてしまいました。) 

その作風はモダニズムと呼ばれる装飾を排した合理的な建築とは一線を画し、独自の哲学や美学に基づいた自由奔放なデザインが特徴で、数多くある代表作は、どれも同じ人物が設計したとは思えないほど、古典様式からモダニズム、数寄屋建築まで自在にスタイルを変えながら、常識にはとらわれない独創的なデザインになっており、ガウディやライトと同じように、生涯を通じて独自の路線を貫き通した稀有な建築家です。 

この箱根プリンスホテルは1978年に竣工した代表作のうちの一つで、芦ノ湖畔の樹々の間に印象的な美しいバルコニーをもった円形の2つの宿泊棟を離して配置し、それぞれを本館棟がつなぐ構成になっています。(食堂やお風呂へ行くにも、いったん屋外を通るなど、ものすごく歩くため、年長者からは不満の声もありました(笑) 

映画「未知との遭遇」の円盤が湖畔に降りたったようなデザインの発想がどこから来たのか知るよしもありませんが、以前に芦ノ湖から遊覧船で眺めた際に、その自然と溶け合った優美な姿に感激したことを覚えています。 

内部は残念ながら竣工から40年以上が経ち、幾度かの改修工事により宿泊室をはじめ、機能的な部分については、当時から変更が行われているようでしたが、作品集で何度も目にした有名なロビーでは黒い床タイルの中央に敷かれた赤い絨毯と間接照明により照らし出された美しい曲線を描く練付合板の天井、荒い石積み壁、木格子と装飾窓やカーテン、家具、美術品といった調度まで幾つもの要素が調和した美しい姿に非常に感激しました。それ以外にも中庭や階段手摺、メインダイニングの天井やグリルなど、所々に当初のデザインが残されており、村野藤吾が細部の造形までこだわり抜いた、デザインを追求する求道者としての執念みたいなものを感じました。ご自身の著書によると、設計者として創作意欲があふれる30代、40代の頃に日中戦争、第二次世界大戦があり、全く仕事がない不遇の時代に培った哲学や創作への渇望が、後々へのバイタリティーに繋がったそうです。 

以前から訪れたいと思っていた建物に宿泊し、夢のような時間を過ごすことが出来ました。次回はフランスのポンピドゥー・センターの分館を手がけるなど、国際的な建築家となった坂茂の静岡県富士山世界遺産センターを紹介したいと思います。